7世紀から8世紀にかけて、日本では奈良に都が置かれていました。
この頃の前半を飛鳥時代、後半を奈良時代と呼びます。
飛鳥時代より少し前から、上下に分かれた服が作られるようになります。
男女とも丈の短い上着を着て、男性は下にズボンのような物、女性はロングスカートのような物を穿いていたようです。
やがて中国との交流が盛んになり、様々な物が中国から渡ってきました。
その中には衣類も含まれ、さらに、衣類にまつわる考え方も渡ってきました。
たとえば、当時の中国では、庶民は動きやすく無駄のない服を着て、貴族は全体的にゆったりとして活動的ではない服を着ていました。
日本ではまだ身分によって服装を変えるという考え方はありませんでしたが、中国から伝わった服の風習から、徐々に「身分が高い人ほど動きにくい服を着る」という風習が生まれたとされています。
中国から伝わった物は珍重され、支配者階級はこぞって中国風の服を着るようになります。
この頃生まれたのが、男性の衿を立てた服装です。
一方で、庶民は以前とあまり変わらない服を着ていたようです。