大柄な人の着物

着物を作る反物の幅は決まっていて、長さも大体決まっています。
最近は日本人の体格も良くなってきて、それに対応するために反物のサイズも少し大きくなってきてはいますが、それでも特に大柄な人だと足りなくなることがあります。

長さが足りない場合に対応する方法は比較的簡単で、別の反物から足りない分(通常は片袖分)を取ります。
幅が足りない場合は、袖の身頃側に布を足して伸ばします。
身頃部分は元々縫い代をたくさん取っているので、縫い代を減らせば十分な幅が出せるはずですが、それでも足りない場合は身頃の脇側に布を足します。

このように幅を出すことを「割を入れる」と言います。
昔も相撲取り(力士)は大柄だったので、割を入れた着物を着ることは普通でした。
また、力士は大柄な方が基本的に強いので、まだ地位が低い力士も将来大きくなることを願い、必要がなくても割を入れて着物を仕立てることがあったそうです。
この習慣から、割を入れた着物は現在でも「将来大きくなる」という願いを込めた縁起の良い物として扱われています。

葛布(くずふ)

葛布は、ツル性植物である葛のツルの繊維から作られた布です。
日本最古の布の一つと言われており、古墳時代の遺跡から葛布が出土しています。
奈良時代や平安時代の資料にも葛布に関する記述があり、この頃には広い範囲で使われていたと考えられます。

現在の主な産地は静岡県の掛川市周辺ですが、江戸時代の資料にも、葛布が掛川の名産であるという記述が見られます。
掛川葛布の特徴は、経糸には木綿糸など葛以外を使い、緯糸に撚りをかけない葛の糸を使っている点にあります。
これに対して、たとえば九州地方では経糸と緯糸の両方に撚りをかけた葛が使われていたと言われています。

葛布は光沢があり、江戸時代までは公家や武士の衣類として広く使われていましたが、明治時代以降このような需要がなくなり、代わりに壁紙として生産されるようになりました。
葛布の壁紙は日本の輸出品として大切にされていましたが、やがて韓国が葛布壁紙を生産するようになり、日本の葛布生産量は激減します。

現在は、帯、草履、バッグなどの素材として使われています。

科布(しなふ、しなぬの)

科布とは、シナノキという木の樹皮から繊維を取り、この繊維で織った織物です。
いつ頃から作られていたかははっきりとしませんが、おそらく日本最古の織物の一つであろうと推定されています。
平安時代には、税として納められていたという記録があります。

丈夫で水濡れに強いという特徴があり、衣類に木綿が使われるようになってからも、穀物を保存する袋や酒を漉すための袋など、実用品に広く使われてきました。
昭和になって大量生産できる化学繊維が入ってくると、手間のかかる科布は一気に廃れてしまいますが、野性味のある独特の風合いが愛され、帯のほか帽子やバッグなどのファッション小物の素材として生き続けてきました。

かつては日本の各地で織られていましたが、現在でも生産を続けているのは、主に山形県と新潟県の一部地域です。
この地域の科布は「羽越しな布」(うえつしなふ)という名前で日本の伝統工芸品として指定を受けており、生産者の団体が技術継承や原材料の確保などに務めています。

紙布(しふ)

紙布とは、紙を糸のようにして織った織物です。
経糸と緯糸の両方に紙を使った物は「諸紙布」(もろしふ)、どちらかに絹糸を使った物を「絹紙布」、どちらかに木綿糸を使った物を「綿紙布」と呼びます。
紙を一度糸にしているため、紙そのものから感じられるような堅さはなく、軽くて丈夫です。

紙布が作られるようになったのは江戸時代からで、元々は要らなくなった紙を使って作られていました。
その後、改良されていく中で、専用の紙が作られるようになったそうです。

有名な産地として、宮城県の白石市があります。
元々この地方では和紙の生産が盛んだった一方、木綿や絹は貴重品だったためではないかと言われています。
江戸時代にこの地方を治めていた伊達藩主が紙布の生産を奨励し、献上品として使うようになったことで有名になりました。

現在は、生産者が少なくなって高価な貴重品になりましたが、人気のある素材として流通しています。
反物としてもわずかながら生産されていますが、帯にすると軽くて締めやすいため、帯地として使われることが多いようです。

金箔

豪華な着物には金色の装飾が施されていることがあります。
多くの場合、細かい部分は金泥(きんでい)で描かれ、広い部分には金箔が貼られています。

着物に金箔を貼ることを箔置(はくおき)と言います。
金箔以外に、銀箔、白金箔なども使われます。
箔置の中にも様々な技法がありますが、一般的な物として「摺箔」(すりはく)があります。
摺箔は、金箔を貼りたい部分に糊を塗り、ここに金箔を貼り付け、乾いてから余分な金箔を取り除くという技法で、最も豪華な仕上がりが期待できます。

金箔や銀箔は金属ですが非常に薄く、しっかりと糊付けされるため、簡単に剥がれることはありません。
とは言え、絶対に剥がれないわけでもありません。
しまう時には金箔の上に薄紙を当てる習慣がありますが、これは、万一金箔が剥がれたときに、畳んだ反対側に付いてしまうのを防ぐためです。

なお、少し昔の着物には粗悪な箔や糊が使われていたこともあるので、リサイクル品を買う時にはよく見て、変色や剥がれがないか確認すると良いでしょう。

刈安染め

刈安染めは、刈安という草で染めた黄色い染め物です。
非常に歴史が古く、奈良時代の資料群である「正倉院文書」の中に「刈安色」という言葉が出現しているそうです。
また、平安時代の中期に作られたとされている「延喜式」という資料には、刈安染めの方法が記載されています。
これらの資料から、この頃には既に、庶民の衣類の染料としても一般的に使われていたと考えられています。

刈安は、ススキに似ていて、それよりは少し小さな植物です。
日本のどこでも自生していた植物だったため、特定の地域の特産品としては扱われていませんが、滋賀県の物が品質が良いとされていたようです。
黄色の色素は、刈安が太陽の紫外線から身を守るために作り出す物なので、8月の終わり頃に刈り取った物を使うときれいな黄色が出るそうです。

刈安は、藍と重ねて緑色を作るのにも使われてきました。

なお、八丈島の特産品である黄八丈を染める草を現地ではカリヤスと呼んでいますが、これはコブナグサという別の種類の植物です。

藍染め

藍染めは、青い染め物です。
蓼の一種の「藍」を使いますが、この藍は「藍蓼」「蓼藍」とも呼ばれます。
日本の各地で作られていますが、特に有名な産地は徳島県です。

藍染めには、刈り取ったばかりの葉を使う「生葉染め」(なまばぞめ)と、葉を発酵させてから使う「建て染め」があります。
建て染めで使う発酵させた葉を「すくも」と呼び、この発酵の過程でインディゴ色素が生まれます。

生葉染めは新鮮な葉が必要で、絹は染まるが木綿や麻は染まらないという性質があります。
そのため、一般的に「藍染め」と言った場合は建て染めのことを指します。
一方、生葉染めは特別な道具や技術が要らず、染め上がりが鮮やかな青になるので、一般の人が少量染めるのに人気がある手法です。

「藍色」というのは青の中でも濃い色を指しますが、この藍色にするには、建て染めで何度か重ねて染める必要があります。
染める回数が少ないと薄い色になり、「甕覗き」「水色」などと呼ばれる色になります。

紫根染め(しこんぞめ)

紫根染めは紫色の染め物で、ムラサキという草の根を使って染めます。
代表的な産地は岩手県の南部地方です。
この地方に紫根染めが伝わったのは鎌倉時代より前と言われていて、江戸時代には盛んに生産されていたそうですが、明治時代になると化学染料に押されて衰退しました。

その後、紫根染めの復興を目指し、岩手県が主導して研究が進められ、東京でも知られるようになると、再び岩手県の伝統工芸品として人気を集めるようになりました。
岩手県出身の作家である宮沢賢治は、当時の状況を元にして「紫紺染について」という作品を残しています。

紫根の色素は時間が経つと損なわれてしまうため、染色は手早く行う必要があります。
また、濃い紫色を出すためには、何度も重ねて染める必要があります。
紫色に染めることはとても難しく手間がかかるため、日本では古くから貴重な色とされており、紫色を身に付けていることが身分の高さを示すような時代もありました。

紫根染めには、後染めも先染めもありますが、後染めの物の多くは絞り染めです。

紅花染め

紅花は、赤色の染料の代表的な原料です。
この紅花で染めた布を紅花染めといい、山形県の特産品になっています。

紅花は染料としてだけではなく、食用油を抽出したり、薬草として使われることもあり、日本では馴染みのある植物です。

紅花の花を見ると赤ではなくオレンジに見えますが、ここから水で黄色の色素を抜き、残った物からアルカリ性の灰汁を使って赤の色素を抽出するという複雑な工程を経て紅花染めになります。
先に抜いた黄色の色素で染めた物は紅花の「黄染め」と呼ばれます。
実は、紅花の色素のほとんどは黄色で、庶民が使っていたのは黄染めだったと言われています。
貴重な赤の色素を使った物は、身分の高い人のための物でした。
さらに、何度も重ねて染めた濃い赤色ほど価値が高いとされています。

他の草木染めと同様に、明治時代から化学染料に取って代わられましたが、近年になって伝統工芸品として復活し、ハンカチやスカーフなどリーズナブルな価格の小物がお土産品として人気です。