浴衣を着る時のバッグ類

浴衣に合わせるバッグやアクセサリーには、特に規定はありません。
「浴衣セット」という形で、浴衣と帯の他に下駄やバッグが付いていることもありますが、これは単純にその年の流行の物を付けているだけで、手持ちの物があればそれで十分に足ります。

ここ数年の流行として、女性用のバッグでは、底が籠になっている巾着をよく見かけます。
ただ、巾着は立ったまま物を出し入れするのが難しいので、小さな籠バッグの中に巾着を仕込んだ形の物も人気があります。

男性の場合、手頃なバッグを持っている人はあまり多くないようで、浴衣に合わせてバッグも買うことが多いようです。
男性用のバッグとしては、合切袋(がっさいぶくろ)と呼ばれる巾着に似た袋が人気です。
合切袋は最近生まれた物ではなく、少なくとも江戸時代には使われており、明治時代に流行した袋です。

また、男女とも、ごく小さなポシェットを斜めがけにする人も増えてきています。
両手を空けられるので、これも良い選択肢だと思います。

更紗(さらさ)

日本の着物や帯には「更紗柄」と呼ばれる物がありますが、これは、東南アジア風の文様柄を指しており、明確な定義は定まっていません。

16世紀頃、外国から文様柄を染めた布が渡ってきましたが、その柄はそれまでの日本にはない物で、当時の人々にとって大変新鮮で珍重されました。
これが更紗と呼ばれていたようですが、その後、日本人が更紗を真似て異国風の文様柄を染めるようになると独自に進化し始め、「日本で生まれた異国風の文様の染め物」といった物になります。

このような日本生まれの更紗を特に区別する場合、和更紗という言葉を使います。
本来の更紗の産地では木綿が多く使われており、日本でもそれにならって当初は木綿を使っていたようですが、大正から昭和にかけて絹にも更紗文様が描かれるようになり、着物の柄として一般的になりました。

よく知られている和更紗には、鍋島更紗、江戸更紗、京更紗などがあり、多くは型紙を使った型染めの手法で作られています。

藍染め

藍染めは、青い染め物です。
蓼の一種の「藍」を使いますが、この藍は「藍蓼」「蓼藍」とも呼ばれます。
日本の各地で作られていますが、特に有名な産地は徳島県です。

藍染めには、刈り取ったばかりの葉を使う「生葉染め」(なまばぞめ)と、葉を発酵させてから使う「建て染め」があります。
建て染めで使う発酵させた葉を「すくも」と呼び、この発酵の過程でインディゴ色素が生まれます。

生葉染めは新鮮な葉が必要で、絹は染まるが木綿や麻は染まらないという性質があります。
そのため、一般的に「藍染め」と言った場合は建て染めのことを指します。
一方、生葉染めは特別な道具や技術が要らず、染め上がりが鮮やかな青になるので、一般の人が少量染めるのに人気がある手法です。

「藍色」というのは青の中でも濃い色を指しますが、この藍色にするには、建て染めで何度か重ねて染める必要があります。
染める回数が少ないと薄い色になり、「甕覗き」「水色」などと呼ばれる色になります。

平安時代以前の着物

7世紀から8世紀にかけて、日本では奈良に都が置かれていました。
この頃の前半を飛鳥時代、後半を奈良時代と呼びます。

飛鳥時代より少し前から、上下に分かれた服が作られるようになります。
男女とも丈の短い上着を着て、男性は下にズボンのような物、女性はロングスカートのような物を穿いていたようです。

やがて中国との交流が盛んになり、様々な物が中国から渡ってきました。
その中には衣類も含まれ、さらに、衣類にまつわる考え方も渡ってきました。

たとえば、当時の中国では、庶民は動きやすく無駄のない服を着て、貴族は全体的にゆったりとして活動的ではない服を着ていました。
日本ではまだ身分によって服装を変えるという考え方はありませんでしたが、中国から伝わった服の風習から、徐々に「身分が高い人ほど動きにくい服を着る」という風習が生まれたとされています。

中国から伝わった物は珍重され、支配者階級はこぞって中国風の服を着るようになります。
この頃生まれたのが、男性の衿を立てた服装です。
一方で、庶民は以前とあまり変わらない服を着ていたようです。

色々な下駄

浴衣やカジュアルな着物を着た時には下駄を履きますが、下駄にも様々な種類があります。
そのうち、現在もよく履かれている代表的な種類をいくつか紹介します。

【駒下駄】
一般的に下駄と言われて想像する形の、二枚歯の下駄です。
横から見ると、平らな板の下に四角い棒のような歯が二つ付いています。
足を乗せる部分(台)が地面から離れているため、雨の日でも足が濡れにくく、慣れると歩く姿が格好良く決まります。
一方、靴やサンダルとは大きく形が異なるため、慣れないうちは歩きにくいのが難点です。

【小町下駄】
駒下駄の一種で、前の歯と爪先が斜めにつながり、後ろの歯が踵の下まで広がっている下駄です。
前の歯と爪先部分の間に段差がないので歩きやすく、地面に付く面積が広いので安定感がありますが、やや重いのが難点です。

【右近下駄】
台が足に沿ってカーブし、踵側がやや高くなっている下駄です。歯の形は、小町下駄に似ています。
サンダルのような履き心地で、下駄が初めてでも比較的歩きやすいため、現在の主流になっています。

日本刺繍

日本刺繍とは、日本の伝統的な刺繍技法の総称です。
帯に使われることが多いのですが、振袖や訪問着などの着物に使われることもあります。
京都の京繍、金沢の加賀繍、東京の江戸刺繍がありますが、技法が異なるわけではなく、色使いや図案にそれぞれの土地の好みが反映されていると考えてよいでしょう。

刺繍糸を含めて一般的に糸には撚りがかかっていますが、日本刺繍では撚りがかかっていない糸も使うという特徴があります。
撚りの有無や程度によって光沢や厚みが変わるので、使い分けて表現の幅を広げているのです。

日本刺繍の縫い方には46あるとされていますが、そのうち代表的な物として次の物があります。

【平繍】(ひらぬい)
糸を並行に渡して面を埋める方法。フランス刺繍のサテンステッチに似ています。

【相良繍】(さがらぬい)
結び目を並べて模様を描く方法。フレンチノットステッチに似ています。

【駒繍】(こまぬい)
太い糸を図案に合わせて置き、細い糸で留めて固定する方法。コーチングステッチに似ています。

【芥子繍】(けしぬい)
細かく縫っては結び目を作り、面を埋める方法。平繍の上に相良繍をしたような仕上がりになります。

刈安染め

刈安染めは、刈安という草で染めた黄色い染め物です。
非常に歴史が古く、奈良時代の資料群である「正倉院文書」の中に「刈安色」という言葉が出現しているそうです。
また、平安時代の中期に作られたとされている「延喜式」という資料には、刈安染めの方法が記載されています。
これらの資料から、この頃には既に、庶民の衣類の染料としても一般的に使われていたと考えられています。

刈安は、ススキに似ていて、それよりは少し小さな植物です。
日本のどこでも自生していた植物だったため、特定の地域の特産品としては扱われていませんが、滋賀県の物が品質が良いとされていたようです。
黄色の色素は、刈安が太陽の紫外線から身を守るために作り出す物なので、8月の終わり頃に刈り取った物を使うときれいな黄色が出るそうです。

刈安は、藍と重ねて緑色を作るのにも使われてきました。

なお、八丈島の特産品である黄八丈を染める草を現地ではカリヤスと呼んでいますが、これはコブナグサという別の種類の植物です。

平安時代の着物

9世紀から12世紀まで、日本では京都に都が置かれており、この時代を平安時代と呼びます。

奈良時代までの貴族は、中国から伝わった服をほとんどそのまま着ていましたが、平安時代になると日本独自の文化が発展するようになり、衣類も独自のデザインに変わっていきます。
しかし、考え方は中国から伝わった「身分が高い人ほど動きにくい服を着る」というものが継承されたため、結果的に日本独自の貫頭衣から発展したスタイルを重ね着するという形になりました。
こうして生まれたのが、男性の束帯(そくたい)、女性の十二単です。

一方、庶民は、貫頭衣から発展した前開きで筒袖の服を着ていました。
貴族の服と庶民の服の大きな違いが、袖口の大きさです。
貴族の服は袖口が大きかったため「大袖」と呼ばれ、これに対して庶民の服を「小袖」と呼ぶようになりました。

貴族も、大袖の下に下着として小袖を着ていました。
束帯も十二単も、一番下は小袖と袴という機能的な服装で、その上に大袖を重ね着していたのです。

甚平(じんべい)と作務衣(さむえ)

最近、男性が浴衣の代わりに甚平を着ているのをよく見かけます。
また、それよりも以前から、甚平は男性の部屋着としてよく使われていました。

甚平の上は着物に似た格好で、袖がやや短く、下は膝丈くらいのズボンです。
江戸時代の末期に、庶民が夏に袖無しの上着を着るようになり、この形が「陣羽織」に似ていたことから「じんべい」と呼ばれるようになったという説が有力です。
現在のような形で上着が確立されたのは大正時代、ズボンは昭和の中頃だと言われています。

一方、甚平によく似た物に作務衣があります。
作務衣は、禅宗の僧侶の仕事着として生まれた物で、甚平より袖もズボン丈も長く、甚平に比べると厚い生地を使うことが多いようです。
袖口と裾を引き絞れるように紐が付いていることがありますが、これは作業中に埃などが入るのを防ぐためです。
元々作業着だったため動きやすく、現在では、男女ともに着ることができる夏以外の普段着として広く販売されています。

中国刺繍

中国刺繍とは、中国で行われている刺繍の総称です。
日本には、6世紀頃に仏教と共に伝わったと言われています。

中国の刺繍にも様々な物がありますが、その中で相良、蘇州、スワトウの3つは「三大刺繍」とも呼ばれ、着物や帯にも使われています。

相良刺繍は結び目を細かく並べる技法で、仕上がりが丈夫です。
歴史も古く、紀元前から作られていたと言われており、日本でも奈良時代には行われていたようです。
この技法は「相良繍」として日本刺繍の技法にも取り入れられています。

蘇州刺繍も歴史が古く、相良刺繍と同様に2000年以上前から作られていたとされています。
非常に緻密な刺繍で、髪の毛の1/3ほどの太さの糸を使って絵柄を描いていきます。
細い糸を使うため、刺繍面が盛り上がらず、写実的な描写が可能になります。

スワトウ刺繍は、19世紀頃にイタリアの宣教師がヨーロッパの刺繍を中国に伝えたのがきっかけで、ヨーロッパと中国の技法が融合して生まれた刺繍とされています。
元々は綿や麻に施していた刺繍ですが、繊細で美しい柄が人気となり、現在では正絹の訪問着や帯にも使われています。