甚平(じんべい)と作務衣(さむえ)

最近、男性が浴衣の代わりに甚平を着ているのをよく見かけます。
また、それよりも以前から、甚平は男性の部屋着としてよく使われていました。

甚平の上は着物に似た格好で、袖がやや短く、下は膝丈くらいのズボンです。
江戸時代の末期に、庶民が夏に袖無しの上着を着るようになり、この形が「陣羽織」に似ていたことから「じんべい」と呼ばれるようになったという説が有力です。
現在のような形で上着が確立されたのは大正時代、ズボンは昭和の中頃だと言われています。

一方、甚平によく似た物に作務衣があります。
作務衣は、禅宗の僧侶の仕事着として生まれた物で、甚平より袖もズボン丈も長く、甚平に比べると厚い生地を使うことが多いようです。
袖口と裾を引き絞れるように紐が付いていることがありますが、これは作業中に埃などが入るのを防ぐためです。
元々作業着だったため動きやすく、現在では、男女ともに着ることができる夏以外の普段着として広く販売されています。

色々な下駄

浴衣やカジュアルな着物を着た時には下駄を履きますが、下駄にも様々な種類があります。
そのうち、現在もよく履かれている代表的な種類をいくつか紹介します。

【駒下駄】
一般的に下駄と言われて想像する形の、二枚歯の下駄です。
横から見ると、平らな板の下に四角い棒のような歯が二つ付いています。
足を乗せる部分(台)が地面から離れているため、雨の日でも足が濡れにくく、慣れると歩く姿が格好良く決まります。
一方、靴やサンダルとは大きく形が異なるため、慣れないうちは歩きにくいのが難点です。

【小町下駄】
駒下駄の一種で、前の歯と爪先が斜めにつながり、後ろの歯が踵の下まで広がっている下駄です。
前の歯と爪先部分の間に段差がないので歩きやすく、地面に付く面積が広いので安定感がありますが、やや重いのが難点です。

【右近下駄】
台が足に沿ってカーブし、踵側がやや高くなっている下駄です。歯の形は、小町下駄に似ています。
サンダルのような履き心地で、下駄が初めてでも比較的歩きやすいため、現在の主流になっています。

浴衣を着る時のバッグ類

浴衣に合わせるバッグやアクセサリーには、特に規定はありません。
「浴衣セット」という形で、浴衣と帯の他に下駄やバッグが付いていることもありますが、これは単純にその年の流行の物を付けているだけで、手持ちの物があればそれで十分に足ります。

ここ数年の流行として、女性用のバッグでは、底が籠になっている巾着をよく見かけます。
ただ、巾着は立ったまま物を出し入れするのが難しいので、小さな籠バッグの中に巾着を仕込んだ形の物も人気があります。

男性の場合、手頃なバッグを持っている人はあまり多くないようで、浴衣に合わせてバッグも買うことが多いようです。
男性用のバッグとしては、合切袋(がっさいぶくろ)と呼ばれる巾着に似た袋が人気です。
合切袋は最近生まれた物ではなく、少なくとも江戸時代には使われており、明治時代に流行した袋です。

また、男女とも、ごく小さなポシェットを斜めがけにする人も増えてきています。
両手を空けられるので、これも良い選択肢だと思います。

浴衣の洗い方

現在主流の浴衣は、綿100%か、綿70%麻30%ですが、この素材であれば洗濯機の手洗いコースで十分水洗いができます。

やり方は、デリケートな衣類の洗濯と同じです。
注意が必要な点として、色落ちすることがあるので、他の物と一緒に洗わないようにしてください。
お湯を使ったり漂白剤を使ったりするのも、色落ちが一層激しくなって浴衣の色があせてしまうので避けてください。
洗濯糊を使うかどうかは好みの問題ですが、糊付けした状態で長期間保存するのはカビの原因になるので、シーズン最後の洗濯の時には使わない方が良いです。

しまう時と同じようにきちんと畳み、平らで大きめの洗濯ネットに入れて、手洗いコースで洗います。
洗剤は、おしゃれ着用として売られている中性洗剤が最適です。
柔軟剤は、風合いが変わることがあるので、使わない方が無難です。

洗い終わったら、物干し竿に袖を通し、皺を伸ばして陰干しにします。
ここでよく皺を伸ばしておくと、アイロンを掛けなくても意外に大丈夫です。
気になる場合は、最後にアイロンで仕上げましょう。

浴衣の着方について

浴衣の着方については、最近ではインターネットでも簡単に調べることができます。
また、量販店で既製の浴衣を買うと、「浴衣の着方」というようなリーフレットが付いてくることがよくあります。

ただ、写真や絵だけだとわかりにくい部分もあるので、動画で全体的な流れを確認すると役立つと思います。
YouTubeで”How to wear YUKATA”というようなキーワードで検索すると、色々な動画がでてきますので参考にしてください。
動画で動きを見て、実際に着るときには写真や絵を見るとわかりやすいと思います。

もちろん、書店などで売られている教本は、とてもわかりやすく書かれていて役に立ちます。
DVD付きの物なら、さらにわかりやすいでしょう。

浴衣は気軽なカジュアルウェアなので、多少曲がっていたり皺が残っていても大丈夫です。
腰紐が緩むと裾がずり下がったり、はだけたりするので、ここをしっかりと締めることだけ注意してください。

浴衣の選び方

浴衣を購入しようと考えた場合、オーダーメイドと既製品という二つの選択肢があります。

予算と時間に余裕があるなら、呉服店で相談しながら自分に似合う反物で仕立ててもらうのが一番です。
しかし最近では、すぐに着られて安い既製品が主流になっています。

既製品から選ぶ場合に気をつけなくてはいけないのは、サイズ選びです。
一番多くの種類が出回っている、いわゆるフリーサイズの浴衣は、身長160cmくらいの人向きで、さらに少し余裕を持たせたサイズになっています。
浴衣は、どちらかというと裄も丈も短めの方が格好良く見えるので、実は背が高めの人、ややぽっちゃり型の人の方がサイズで困ることは少ないと思います。

逆に、背が低めの人や痩せ形の人の場合、大きすぎることがしばしばあります。
Sサイズを展開しているブランドもありますが、フリーサイズしかない場合、オーダーメイドも扱っているショップであれば、小さくする加工を引き受けてくれることもあります。
相談してみましょう。

代表的な浴衣の産地

最近では、様々なブランドから浴衣が出ており、海外で生産した生地で作られている物も珍しくありません。
一方で、高級浴衣の産地として知られている地域もあります。
そのうちのいくつかを紹介します。

【有松絞り】
名古屋市の有松地域で作られている絞り染めです。
この地域は耕作地に向かなかったため、江戸時代に当時の政策に従って移住した住民が、街道を通る旅人に売る土産物として絞り染めの手ぬぐいを作ったのが始まりと言われています。
技術の高さはもちろん、新しい感覚を取り入れたデザインも高く評価され、絞りの浴衣の代表として扱われています。

【浜松注染】
静岡県の浜松で作られている染め物です。
注染の技術が確立されたのは明治時代なので、それほど歴史は長くありませんが、独特の風合いできれいな色柄の浴衣がリーズナブルな価格で手に入るため、とても人気があります。
明治から大正にかけては東京で注染浴衣が作られていたようですが、大正時代に起きた関東大震災で工房を失った職人が、注染に適した気候の浜松に移り住んで、ここが注染浴衣の一大産地になったとされています。

浴衣の歴史

浴衣の語源は、平安時代に貴族が蒸し風呂に入る際、水蒸気で火傷をするのを防ぐために着た「湯帷子」(ゆかたびら)だとされています。
湯帷子はその後、風呂上がりに水分を吸収させるバスローブのような物となり、江戸時代に庶民の間でも「風呂屋」に行く習慣が生まれると、風呂屋で着る簡易な服として普及するようになったと言われています。
「浴衣は外出着ではない」と言う人も時々いますが、その意見の根拠は、このような湯上がり着だった歴史にあります。

しかし、現在で言う浴衣は、当時の物とはだいぶ異なっています。
昭和の中期から着物文化が一時衰退した後、1990年代から「気軽に着られる着物」として新しいタイプの浴衣が作られるようになり、若者の間で流行した結果、生まれたのが現在の浴衣文化だと考えられます。
従来型の浴衣は、たとえば日本の旅館で用意されている部屋着や寝間着に引き継がれていて、おしゃれ着としての浴衣とは全く別の物であることが一目でわかります。

お引きずり

お引きずりとは、着物の裾を長くして、床の上で裾を引きずるように着ることです。
婚礼衣装としてよく使われますが、舞台衣装としても使われますし、芸者さんもよく着ています。
お引きずりの振袖は、特に「引き振袖」とも呼ばれます。

元々は江戸時代に小袖の裾がどんどん長くなった結果、裾を引きずるようになって生まれたスタイルで、必ずしも礼装というわけではありませんでした。
また、歩きやすいように裾を上げる工夫から生まれたのが「おはしょり」なので、お引きずりでは本来おはしょりは作りません。
しかし、多少はおはしょりを作った方が動きやすく着崩れもしないので、現在は少なめにおはしょりを作ることが多いようです。

裾が広がった姿が綺麗に見えるため、昔も今も人気のあるスタイルですが、このまま屋外に出ることはできません。
少しの間なら手で裾を持ち上げて歩けばよいのですが、帯の下で紐を使って留めておくと便利です。
この紐を「しごき」あるいは抱え帯と呼びます。

打掛(うちかけ)

打掛とは、女性が着物の一番上に着る物です。
一般的には豪華で、裾に綿を入れて厚みを出しています。
この綿は、より豪華に見せる効果があると同時に、裾がまくれたり足にまとわり付くのを防ぐ効果もあります。

現在は婚礼衣装として一般的ですが、元々は室町時代の武家の礼装でした。
この頃になると重ね着をする習慣が廃れてきましたが、礼装として小袖の上にもう一枚小袖を「打ち掛ける」着方をするようになり、これが「打掛」という言葉の語源になっています。
この頃の打掛を特に「打掛小袖」と言うこともあります。

庶民が婚礼衣装として打掛を着るようになったのは、江戸時代の後期からだと言われています。
しかし、それ以前から、庶民の女性が儀式の場で打掛を着ることはたまにあったようです。

なお、現代の打掛は夏用の物もありますが、本来は秋から春の物でした。
そのため非常に暑く、室町時代の礼装として夏に着る時には、打掛を紐で腰に結び付け、上半身は着ないという姿が礼装として認められていました。
この姿を「腰巻」と呼びます。